2016年6月17日金曜日

存在していること、それ自体が貢献である

「えらかったね」という褒めことばよりも、「ありがとう」、「たすかったよ」という言葉の返しの方が、子どもに貢献感を持たせることができ、勇気づけることができる、と岸見一郎氏はいいます。

そしてそれは何も行動に限ったことではなく、「存在そのものに注目する」ことが大切ですと昨日の講演(@帝国ホテル)でも話しておられました。

「存在そのものに注目する」とはどういうことでしょうか?

講演では岸見先生のお父様やお母様の例を出して話されていたように記憶していますが、『嫌われる勇気』ではこう書かれています。(以下引用)

P209
わたしが勇気づけの概念について説明すると「うちの子は朝から晩まで悪いことばかりして、『ありがとう』や『おかげで助かった』と声をかける場面がありません」と反論される親御さんがいます。・・・

あなたはいま、他者のことを「行為」のレベルで見ています。つまりその人が「なにをしたか」という次元です。たしかにその観点から考えると、寝たきりのご老人は周囲に世話をかけるだけで、なんの役にも立っていないように映るかもしれません。そこで他者のことを「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで見ていきましょう。他者が「なにをしたか」で判断せず、そこに存在していること、それ自体を喜び、感謝の言葉をかけていくのです。
・・・
存在のレベルで考えるなら、われわれは「ここに存在している」というだけで、すでに他者の役に立っているのだし、価値がある。これは疑いようのない事実です。
P210
・・・
たとえば、あなたのお母さまが交通事故に遭われたとしましょう。意識不明の重体で、命さえ危ぶまれる状態だと。このとき、あなたはお母さまが「なにをしたか」など考えません。生きていただけで嬉しい、今日の命がつながってくれただけで嬉しい、と感じるはずです。・・・
存在のレベルに感謝するとはそういうことです。
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同じことはあなた自身にもいえます。もしもあなたが命の危険にさらされ、かろうじて命をつなぎとめたとき、周りの人々は「あなたが存在していること」自体に大きな喜びを感じるでしょう。・・・自分のことを「行為」のレベルで考えず、まずは「存在」のレベルで受け入れていくのです。
・・・
P211
ありのままのわが子を誰と比べることもなく、ありのままに見て、そこにいてくれることを喜び、感謝していく。理想像から減点するのではなく、ゼロの地点から出発する。そうすれば「存在」そのものに声をかけることができるはずです。(引用ここまで)

この節のタイトルは

ここに存在しているだけで、価値がある  です。

行き詰ったときに、ぜひ思い出してほしいことばだと思いました。

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