2014年8月11日月曜日

Let It Go ♪♪

7回小児がん脳腫瘍全国大会のエンディング曲は「アナと雪の女王のテーマソング」Let It Go♪でした。LBLさんがリードし、子どもたちが合唱しました。

 ありのままの姿みせるのよ~♪
Let it go  let it go~

のあの曲です。

ところで今回の大会の大きなテーマの一つは「実存的苦悩とどう向き合うか?」でした。

 それについてはフランクルや神谷美恵子さんの例を引きながら、山田邦男先生に丁寧にお話しいただけたのですが(その内容は別途掲載します)、実はこの最後に子どもたちがステージで合唱したこのタイトルLet It Goこそ、「実存的苦悩とどう向き合えばよいか」の1つの答えであることに気づきました!

偶然のようですが、そうなんです。曲をアレンジし、子どもたちを指導してエンディングをプロデュースしてくれたLBLの皆さんもこう言うと驚かれると思いますが、本当にそう考えることができるのです。

Let it goは「ありのままに」と訳されていますが、直訳的には「行かせる」であり、「手放す」「明け渡す」とも訳されLetting Goとほぼ同じ意味であると思われます。似た言葉ではビートルズの名曲Let It Beがあります。

 この言葉を理解する上で、当日会場で皆さんにお配りした孤立うつ対策ハンドブックの第3章ACTその1アクセプタンス(P33~P42)が大変参考になります。ここにその全文を掲載しえおきますので、ぜひ目を通してみてください。

その意味は一言でいうと

 

「防御しないで『今この瞬間』、完全に受け取る」

 

です。

 
(以下、ハンドブックより引用)

ACTその1 アクセプタンス

2章で三木先生を思い浮かべるというエクササイズを通して、体験の回避が不安や怖れの解消に役立たないことを見てきました。ここでいう体験とは行動を伴うような外的な体験だけをいうのではなく、内面的に生じている感情や思考、身体感覚などを含めて体験といっています。不安や怖れは、それをもちたくないと思って回避すればするほど逆にもつことになってしまうのです。それはまるでチャイニーズ・フィンガー・トラップのようだとACTではいいます。


チャイニーズ・フィンガー・トラップとは、人差し指くらいの大きさに編んでいる筒です。

両端に人差し指をゆっくり奥まで入れて、その後、指を抜こうと引っ張ると、筒は絡まり締め付けられます。すなわち、力を入れて引っ張るほど、筒は小さくなって、かえって指が抜けなくなってしまうのです。指を抜くためには、反対のことをします。つまり筒を引っ張らずに押し込めばよいのです。すると、指の周りにすき間ができて簡単に抜くことができます。

「人生はチャイニーズ・フィンガー・トラップである」と考えると、指を一生懸命引っ張っている状況は、「もがけばもがくほど、逆に身動きが取れなくなってしまう」を表し、押しこむと逆にすき間ができて、指を抜けることは、「もがくことをやめると、新しい選択ができるような余地が生まれてくる」ことを表しています。

 

では実際に、不安や怖れとどう付き合っていけばよいのでしょうか?回避の反対をやればいい、例えばもっと不安になりたいと思えばいいんだ、というのは間違いです。そう考え行動する動機の根底に不安をなくしたい、不安を感じないようになりたい、という思いがあるからです。

ACTが奨める「体験の回避」とはまったく異なる対処の方法とは、ウィリングネス、アクセプタンス、「あるがままに、そのままに」といったことばであらわされるものです。

アクセプタンス(Acceptance)を英和辞書で引くと「受け入れ」「受容」などの意味が出てきます。またウィリングネス(Willingness)とは「快く進んですること」、「いとわないでする心持ち」であり、with willingness「進んで」「喜んで」のように使われます。

不愉快な体験(思考や感情)を我慢して受け入れるのではなく、しぶしぶ受け入れるのでもなく、心を開いて受け入れる意味合いを含んでいます。そのニュアンスを表現するためアクセプタンスに加えて補助的にウィリングネスという単語を使います。

「あるがまま」、「そのままに」とはどういうことでしょうか?「ACTをはじめる」の原書Get Out of Your Mind and Into Your Life: The New Acceptance and Commitment Therapyでは英語でLetting goと書かれています。Let goは「行かせる」すなわち「手放す」という意味です。握っていたものを手放す。不安や心配との格闘をやめ、綱引きしていたそのロープを手放すのです。その不安や心配を何とかしようとどうこうしないということです。邦訳書では「何もしないをする」と表現されていますが、なかなか素敵な表現です。

ザ・ビートルズのレット・イット・ビー(Let it be)という曲をご存知でしょうか?これも同じような意味です。堅く言うと「そのままにあらしめよ」ということになります。これは智恵の言葉だとポール・マッカートニーによって歌われています。

ACTのアクセプトとは「防御しないで『今この瞬間』、完全に受け取る」というものです。

例えば広場恐怖症の人が、体験を回避しようとしないで、そうした場所(例えばショッピングセンター)に出かけたとしましょう。しかし内面では恐くない、恐くない・・・とか、もう少しのがまんだ・・・とか思って心理的に完全に防御しているなら、これはアクセプトとはまったく言えません。

アクセプタンスとは、コントロールできないことをコントロールしようと格闘することを止めることです。

コントロールできることとコントロールできないこと。

じつはこのことは分かっているようで、あまり分かっていません。そして思考や感情は何となくコントロールできると思ってしまっていることが多いのです。

ためしに次のうちどれがコントロールできることで、どれがコントロールできないことだと思いますか?これは「不安、心配、恐れから自由になるマインドフルネス・ワークブック―豊かな人生を築くためのアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ジョン P.フォーサイス、ゲオルグ H.アイファート著)」に記載されているエクササイズの一つです。まずはトライしてみて下さい。

自分にコントロールできることとできないこと


深く考えずに、次の文章を読んで、自分がコントロールできると思う状況の番号に〇をつけて下さい。自分にはコントロールできない状況の番号には〇をつけないでください。
  
 

1.   他の誰かが今考えていること

2.   自分が下す決断

3.   自分がどれほど緊張するか

4.   自分が他の人にどう対応するか

5.   他の人か何に価値を置き、大切に思うか

6.   ある状況で自分が何を言い、何を行うか

7.   自分がときどき抱える心配

8.   自分が望む人生の方向

9.   自分の選択や表現した思考、感情、行動に他の人がどう反応するか

10.  自分が他の人に対してどう振る舞うか

11.  他の人が下す選択

12.  自分が不安になったときに何をするか

13.  同じ思考やイメージが自分の頭にどのくらいの頻度で戻ってくるか
   

14.  自分の思考や感情(肯定的なものでも否定的なものでも)に自分はどう反応するか

15.  他の人がルールや規範に従うこと

16.  自分が決めたことをやりとげるかどうか

17.  他の人が何をするか

18.  自分が何らかのルールや規範に従うかどうか

19.  自分が他の人から好かれること

20.  自分が仕事に備えて準備をし、ベストを尽くすか

21.  自分がその時々でどう感じるか

22.  この地上での貴重な時間に自分が何をするか

23.  ときどき自分に浮かぶ考え

24.  自分が価値を置くことや大切に思うこと
 
  さあ振り返って、あなたが〇をつけた番号を見てください。奇数の番号はすべて、あなたにはまったくコントロールできない状況です。あなたはそうは思わないかもしれませんが、ふり返ってよく考えてみれば、こうしたシナリオのどれも、あなたにコントロールできないことが分かるでしょう。
そしてこのコントロールに関連してもう一つ、「ウィリングネスのスイッチ」というエクササイズを同書から紹介したいと思います。何がコントロールできるものでなにがコントロールできないのか?不安はコントロールできません。ウィリングネスは感情ではなく態度であり、行動であるためコントロールできるのです。

   

ウィリングネスのスイッチ

 
あなたの目の前に2つのスイッチがあると想像して下さい。どちらも照明のスイッチのようにオン/オフの切り替えがあります。1つのスイッチは「不安」と呼ばれ、もう1つは「ウィリングネス」と呼ばれています。どちらのスイッチもつけたり切ったりできるように見えます。この本を読みはじめたとき、あなたはおそらく不安のスイッチを切る方法を見つけたいと思っていたことでしょう。あなたは幾度となくやってみました。そしてそれは間違った期待であることが分かりました。不安のスイッチのオン/オフつまみは作動していなかったのです。あなたは不安の犠牲者であるかのように感じ、自分を無力に思うかもしれません。そしてあなたのマインド※は「がっかりだ」と言うでしょう。あなたは何度も何度も失望します。

では、あなたに秘密を教えましょう。ウィリングネスのスイッチのほうが本当は不安のスイッチよりも重要なのです。なぜなら、あなたの人生に変化をもたらすものだからです。不安のスイッチとはちがって、ウィリングネスのスイッチはコントロールできます。ウィリングネスの場合、あなたは無力な犠牲者ではありません。なぜなら、スイッチはあなたの行動によってコントロールできるからです。覚えておいてください。これはあなたが反応の仕方を決められるものなのです。ウィリングネスのスイッチを入れるかどうかはあなたが選ぶことなのです。ウィリングネスのスイッチを入れたらあなたの不安がどうなるか、私たちにはわかりません。わかっていることは、自分でそう決めたら、あなたは本当にスイッチをオンにできるということです。そしてあなたの人生は前に進みはじめるかもしれません。自分が本当にしたいと思うことを始め、価値ある人生の墓碑銘が指し示す方向に踏み出すことができるかもしれません。
 

※「こころ」と表現すると、heartの意味に近くなるため「こころ」の理性的論理的な側面を強調するため、mindをそのままマインドとカタカナで表記しています。以降の章についても同様です。

 
いかがでしょうか?どのようにアクセプトすればいいか、少し分かってきたのではないでしょうか。

コントロールできないもの(例えば不安)は、コントロールしようと格闘する(チャイニーズ・フィンガー・トラップに入れた指を抜こうと引っ張る)のではなく、起こるがままにまかせる。あるいはむしろウィリングネスという態度で迎える。チャイニーズ・フィンガー・トラップの指を押すように。

さてもう少し、ウィリングネスということのイメージをはっきりさせるために、「ACTをはじめる」からたとえ話を紹介しましょう。



ウィリングネスは、嫌な来客を歓迎するときの心構えと同じ

娘の結婚式のために、遠い親戚をあなたの家に招待している場面を考えてみてください。招待した親戚たちは、みんな出席予定の人たちです。昔遊んでくれたアキラ叔父さん、悪ガキ仲間のアキヒコ、最愛の妹アイコ。何十人もの親戚があなたのもとにやってきて、とても楽しい時間を過ごしています。あたりを見回して、ひとりひとりの顔を見るほどに、喜びがこみ上げてきます。皆、とても明るく楽しそうです。そのとき、あなたの家の前に1台のタクシーが停まりました。その途端、あなたのこころは沈みました。そうです。車からブツブツ言いながら降りてきたのは、あの偏屈なアニータ叔母さんだったのです。風呂にはめったに入らないし、誰とも打ち解けないし、楽しいことを話す様子など誰も見たことがない、そんな叔母さんです。しかし、あなたは、親戚の人たちに全員に対して「どんな人でも大歓迎です」と言っていました。

 さて、ここで質問です。アニータ叔母さんを心から歓迎することはできますか?あなたは本心では、彼女に来てほしくなかったはずです。多くの人がこうした状況を体験したことがあるでしょう。そしてその答えも知っています。「歓迎する(welcoming)」ことと「欲する(wanting)」ことは違うということです。あなたは、アニータ叔母さんを歓迎し、家に招いて、その存在を認め、近況を尋ね、話の輪に招き入れることができます。そうしているのは、あなたが家族を慈しみ、アニータ叔母さんも家族の一人だからなのです。たとえば、「このパーティーはアニータ叔母さん抜きでやろう」などと決める必要はありません。大切なのは、彼女の来訪を拒まず、進んで迎え入れることです。

 逆に、こんな場面も想像できます。あなたが「この叔母さんは絶対パーティーに入れない」と決心したとしましょう。彼女の目の前で玄関のドアを堅く閉め、彼女がノックしても、あなたはノブをしっかりつかんで叫びます。「出て行ってください。もう来ないで!」と。おそらく何か良からぬことが起こるにちがいありません。もうパーティーなんておしまいです。どんなことをしても、もう楽しくはありません。あなたはアニータ叔母さんを入れないということだけで精一杯です。他の客もみんなこの騒ぎに影響を受けるでしょう。彼らはイライラしたり、起こりだしたり、あなたのやったことについて説教したり、あるいはそっといなくなってしまったり、リビングの隅のほうに固まってしまったりするでしょう。彼らがリビングから去っていけば、余計にアニータ叔母さんだけに注意が集中してしまいます。そして、あなたは玄関のドアの前から一歩も動くことができません。あなたにとってパーティーは終わってしまったも同然です。

 今度はアニータ叔母さんを追い出すのではなく、自分の思いにこだわるのをやめることを決心したとしましょう。すべての客人を歓迎するという最初の決心に沿って行動します。あなたはアニータ叔母さんに、デザートやオードブルの場所を教えます。決してアニータ叔母さんにいてほしいと願っているわけだはありません。でも、そうすることで、叔母さんがどこにいても、あなたも他の客もパーティーを楽しく続けることができます。みな自由に歓談し、リビングから外へと自由に出入りができるのです。もちろんアニータ叔母さんも含めて。

 
■マインドフルなアクセプタンスを学ぶ

どのようなアクセプタンスを学べばよいか?その一つ目のキーワードはウィリングネスでした。もうひとつのキーワードは「マインドフル」です。すなわち「マインドフルなアクセプタンス」が重要であるということです。

(注)ここでいうマインドフルのマインドは前述の理性的、論理的側面を強調したマインドとはニュアンスが異なります。

ではマインドフル(mindful)とはどういうことでしょうか?

 英語では

Just be mindful!「気を配りなさい」

To be mindful of safe driving. 「安全運転を心がける」

というように使います。

 「心に留めて」とか「注意して」「気を配って」というような意味の形容詞です。

人といるときに相手に気を配ったり、大勢でいるときにその場のみんなに気を配ったり、運転している時に歩行者や他の車にスピードの出し過ぎなどに気をつけることだと考えてよいでしょう。私たちは、「考えごとしてないで気をつけるのよ!」などと言います。「よそごと考えていて事故にあわないようにね」などと言います。

周りのことによく気がついているのがマインドフルな状態といえます。何かを思い出して過去の記憶の方に気持ちが行ってしまっていたり、何か未来のことを心配してそのことを考えてしまっている状態はマインドフルではありません。

いまごろ彼女はどうしているかな?といった、ここ以外のちがうところ(場所)に気持ちが行ってしまっている場合、今している運転や、今行われている授業を聴くことがおろそかになっているような注意力を欠いた状態もマインドフルではありません。

今していること、本来すべきことに気持ちが入っていることがマインドフルであるといえます。

「今ここ」にしっかりと心が錨を下ろしているのがマインドフル(mindful)であり、「心ここにあらず」の状態がマインドフルではない(mindless)といえます。

研究者のジョン・カバットジン(マサチューセッツ大学医学大学院教授)のマインドフルなアクセプタンスの定義はこうです。

「特別なやり方で、すなわち、意図的に、今の瞬間に、判断せずに、注意を払うこと」

 今この瞬間に

私たちはみな今この瞬間を生きていますが、心はすぐに私たちをどこか別の場所に連れて行きます。シャワーを浴びながら、今日の面接はうまく行くだろうかとか、昨日の嫌なことを思い出したりしています。身体はシャワーを浴びていても、頭はちがうところにいます。私たちは誰もが容易に今から引き離されることがあるのです。そのことを意識し「今ここ」に注意を払います。先ほど書いたように心ここにあらずというマインドレスな状態では、心は今ではなく、過去を思い出していたり、未来を見つめていたりします。またここ以外の場所、空間を想像しているかもしれません。そして考えが膨らみ関連づけ、行動するという従来の習慣パターンにしたがって人や状況に反応してしまうことが多いのです。そうではなく、「今この瞬間」に意識を戻すことがマインドフルなアクセプタンスのためには大切です。


意図的に

今この瞬間に注意を払うためには意識的にそうする選択をしなければなりません。一日を通して何度も何度も繰り返し注意を払っていくのです。このスキルの目的は、それが起きたときに気づき、目的をもって行動するよう、再び気持ちを向け、実際に何が起きているかにもう一度気づくためのものです。頭がどんどん勝手にしゃべっていたり、何か漠然と満たされない気持ちを埋めようとネットサーフィンをしていたりする時に、「おーとっと」と気づいて、目的を持った行動に戻る、それを何度も折に触れて繰り返すことが大事です。


判断せずに

私たちはみな自分のすることすべてを評価し判断する傾向があります。良いか悪いか、正しいか間違っているか、快か不快か、すべきかすべきでないか、などなど。これは第2章でみたヒトが身に付けた関係づける能力によるものです。状況や他人、そして自分自身の思考や感情、行動について判断を下し、連鎖反応的に判断と苦悩が増していきます。仏教でいう二本目の矢を受けてしまうのです。「これはひどい!」「なんてバカなんだ!」「おれは何でそんなことをしたのか!」「もう耐えられない!」「また同じことの繰り返しだ。」このようなことは、不安や怖れとの格闘の燃料になります。あらゆる判断は、現実のものではない、幻想を作り上げます。先入観、固定観念を持たず、「曇りなき眼でありのままを見る」ことが大切なのです。


「今この瞬間に」はACTその4で、「判断せず」は、次のACTその2で詳しく見て行きます。

(引用以上)

いかがでしたでしょうか?

Let It Go♪ すばらしい言葉ですね。




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