2012年8月19日日曜日

Give Peace a Chance ♪

Give Peace a Chanceとは今は亡きジョンレノンが1969年に作ったベトナム戦争の反戦歌である。
 
Give me a chance なら、もう一度チャンスをくれ、という意味だ。

 これにならってGive peace a chanceは直訳すると「平和にチャンスを!」という意味になる。それを意訳して「平和を祈ろう」というようなフレーズがあてられていることが多い。

 去る812日第5回小児がん脳腫瘍全国大会のエンディングで、ボランティアの熟年バンド(?)であるLBL(リトル・バイ・リトル・チャリティ)が指導してくれて、子どもたちが手作りマラカスでこの曲のリズムを演奏した。
 
サビの部分はこうだ。

 All we are saying is give peace a chance

All we are saying is give peace a chance

 この歌詞を、小児がん経験者である子どもたちにとって、どう解釈するのがいいだろうか?

Peaceを「平和」と訳してしまうと、日本語では「戦争」の反対語としての「平和」というニュアンスが強く、大会のエンディングにはやや違和感がある。

どう考えればよいだろうか?
 
Peaceには「平安」という意味もある。「心の平安」「心の安らぎ」という意味でPeaceが使われることも多い。

こちらの方がピッタリくる。すなわち「小児がんとの過酷な闘病経験を経てきた子どもたちとその家族に、心の安らぎを♪」という意味合いを含んだ歌詞となる、と。

ここまでは大会の前に考えていたことで、関係者にはfacebookで伝えていた。


そして、今日、神谷恵美子著「生きがいについて」の中に、哲学者ホワイトヘッドのいう「平和の体験」というキーワードを偶然みつけた。

そこでは「変革体験」(http://blog.zaq.ne.jp/nagamasa/article/240/)としての「平和の体験」が神谷氏によって解説されている。

以下に神谷氏によるAdventures of Ideas(邦訳「観念の冒険」)の巻末の「平和の体験」の抄訳、意訳の記述部分を引用する。(神谷恵美子著「生きがいについて」P254255
 
ここで平和といっているのは単なる無感覚の消極的な概念ではなく、魂の「生命と動き」の積極的な感情である。それはある深い形而上的な洞察によって感情がひろくされることを意味する。この洞察がどんなものであるかを言葉で言いあらわすことはできないが、それはもろもろの価値に対して重要な統合作用を持つ。

 平和の体験によってひとは自己にかかずらうことをやめ、所有欲に悩まされることがなくなる。価値の転倒がおこり、もろもろの限界を超えた無限のものが把握される。注意の野がひろくなり、興味の範囲が拡大される。その結果の一つとして、人類そのものへの愛が生まれる。

 人類は高度に発達した精神を持っているため、ただ生存を享受してたのしんでいることはできなくなり、そのたのしみには必ず苦痛や悲劇がからみあっている。平和(の体験)はこの悲劇に対してつねにいきいきとした感受性を保ちつづけさせ、現実のレベルを超えた理想を志向せしめる。(引用ここまで)

この中の「深い形而上的な洞察」「言葉に表現されえない」こと、「統合」作用、「価値の転倒」、「無限性の把握」、「注意の野の広がり」、「人類そのものに対する愛」、「生命と動き」、「現実を超えること」などが、彼女のいう変革体験と共通した特徴であるとしている。

このような体験としてのPeaceを祈る曲であれば、小児がん脳腫瘍全国大会のエンディングとして、まさに本意である。

ジョンレノンの作ったこの曲のAll we are saying is give peace a chanceというフレーズには、このような無限への憧れと祈りがいくらかなりとも込められているのではないか、と私は考えたい。

LBLの皆さん、意義深いプログラムを提供いただきまして、本当にありがとうございました!

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