2016年5月30日月曜日

インクルーシブとアドラーの共同体感覚

新しい団体案内でエスビューローのビジョンを次のように表現しました。

エスビューローの新たなビジョン。それはインクルーシブです。...
インクルーシブ(inclusive)とは何でしょう?
「すべてを含んだ」 という意味に訳されますが、反対の意味をあらわすエクスクルーシブ(exclusive)という単語があります。
「(特定の仲間だけで)他人 を入れない、排他的な」という意味です。ですので、インクルー シブとは「仲間はずれにしない(ならない)」ことだといえます。

闘病中の小児がん患児や晩期合併症のある小児がん経験者をはじめ、あらゆる心身機能・構造に不全のある人も、「みんなちがっ て、みんないい」(金子みすずさんの詩)のであって、仲間として 互いが認め合い、排除されることがあってはなりません。 インクルーシブとは、互いが対等で、信頼でき、つながれることであり、他者を仲間と思える関係のことです。
子どもたちが手を つないだ団体のEsマークは「誰もが欠かせない存在であること」 を暗示しています。普通に誰もが「ぼくたち、わたしたち」と思う ことができ、「ここにいてもいいんだ」と感じられる、そんなインクルーシブをエスビューローは目指してまいります。

130万部を超えるベストセラーとなった岸見一郎氏の「嫌われる勇気」にはこう書かれています。

他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚といいます。(p179)

すなわち、誰もが共同体感覚を持てるようなクラス、級友を仲間と見なし、自分の居場所があると誰もが感じられるクラス、そんな学級ができるなら、それはそのままインクルーシブの実現なのだと思います。

では、共同体感覚がもてるようになるには何が必要なのでしょうか?

「嫌われる勇気」では、共同体感覚を持てるようになるには、自己受容、他者信頼、他者貢献の3つが必要になる(p226)と書かれています。

自己受容とは、60点の自分を、そのまま60点として受け入れた上で「100点に近づくにはどうしたらいいか」を考えること。(p228)

他者信頼とは、他者を信じるにあたって一切の条件を付けないこと。(p231)

他者貢献とは、仲間である他者に対してなんらかの働きかけをしていくこと。貢献しようとすること。(p237)

です。

そして、これら3つを育む具体的な手法として「クラス会議」(大会第2日目森重裕二氏の講演)があります。

インクルーシブの実現→共同体感覚の掘り起こし→手法としてのクラス会議

なのです。

大会の1日目と2日目はこうしてつながっています。担任教諭はじめ皆さまの参加を期待しております。

「アドラーに学ぶ、生きる勇気」
http://www.kokuchpro.com/event/e29cae72cb3ea783f2465045fb77c4d7/


2016年5月14日土曜日

生命の躍動を発見し、参加へと育てる


2015年度のWAM事業の一つの成果である冊子『わが子の「よりよく生きる」を実現するICF活用の手引き』が完成しました。
 
 
 
その一番最後が私の最も言いたい部分でしたので、ここに再掲させていただきます。
 
なお、全文はHPからPDFをダウンロードできますので興味のある方はご覧ください。
(以下、PDFのp23~p26より再掲)
 
この冊子は、平成27年度の助成事業の一環として作成されました。園芸療法プログラムを試行的に実施し、このセラピーを受けた小児がん経験者(男子4人)のアセスメントをICFを活用して行いました。この4例と、ケーススタディで本冊子の中で取り上げた4例(計8例)を眺めながら、共通するコンセプトは何だろうか?と想いを巡らせました。

そして心に浮かんできた言葉が「生命(いのち)の躍動を発見し、参加へと育てる」です。(前述の生命レベル、生活レベル、人生レベルとはまた異なる次元なので、生命の読みを「いのち」としました)

これは、「親がICFを活用して、どのようにわが子に接すればよいのか?」に対するひとつの答えでもあります。

まず、親はICFを活用して、わが子の心身機能(の障害)が、どのように活動を制限し、参加の制約しているのかを理解し、関係者と共有することが大切です。

しかしそれだけでなく、どうすれば(どんな合理的配慮を用意すれば、あるいはどんな個人因子のバージョンアップがあれば)活動の制限を緩和したり、参加を促進できるのかを見出さねばなりません。適切な背景因子のビルトイン(組み込み)は、ICFの悪循環を逆転させる(好循環させる)ことで、小児がん経験者の生きがい感を向上(p4参照)させることができるのです。

そのような好循環をつくり出そうとする時に、最も大切な視点は、この子は何に「こころ躍らせている」のか?ではないでしょうか。「そうか、この子はこれが好きで、これなら一生懸命やっている」、「このことなら本当に無心に嬉々としてやっている」ということに気づいたら、その生命()の躍動が、日常に適切に組み込まれるようにICFをデザインし直します。そしてその躍動の機会を軸に「参加」へと育てていくのです。

生命の躍動を感じる機会や事柄は、趣味や関心事のひとつとして個人因子に入ります。

「参加へと育てる」とは、Aさんの作品がイベント会場で完売したように、その機会を通じて人と交流するということです。例えばブログを書いてそこに作品の写真を載せると、もっと交流は広がるでしょう。「参加へと育てる」ことで、つながり合い、認め合いが次々と生まれます。個人因子である生命(いのち)の躍動が、人との交流を通じてさらなる生きがい感へと拡大していくのです。

このことをもう少し具体的にみて行きましょう。


自然や動植物に関わり生命(いのち)の躍動を感じる

動物(犬、猫、馬、イルカ、昆虫、魚や水辺の生きもの)あるいは、植物(季節の花、発芽、つぼみ、花が咲く、実を付ける)の生き生きした躍動感と、自分の内なる何かが共振する。

動物介在療法、植物介在療法とは、こうした動植物と人間との間に生まれる相互作用を活用しています。(エスビューロー編「孤立うつ対策ハンドブック」第7章バイオセラピー参照)

前述ケーススタディのTさんは、今は月1回の農園作業が一番楽しいといいます。園芸プログラムに参加したNさんは、もともと動物好きでしたが、今回自宅で寄せ植えを育ててみて、芽が育ち、蕾をつけ、花びらが開いていくさまに「ハッとした」と言います。

アートや運動を通して内なる躍動を感じる、表現する
(音楽、絵、書道、手芸、クラフト、ダンス、コミュニティスポーツ)
 
♪ぼくらはみんな 生きている 生きているから 歌うんだ

ぼくらはみんな 生きている 生きているから かなしいんだ

手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)

ミミズだって オケラだって アメンボだって

みんな みんな生きているんだ 友だちなんだ♪

 ご存知のように、これは人気のアニメ「それいけ!アンパンマン」の作者やなせ・たかしさん作詞の唱歌「手のひらを太陽に」の一節です。

まさに、内なる躍動が音楽(歌)として表現されたものの代表ではないでしょうか。歌だけでなく、踊りもそうでしょうし、絵やクラフトにもそうしたものは表現されます。

ケーススタディにあったようにIさんはお父さんとサーフィンするのが好きですが、日頃は、ビニール袋に穴を開けて、ドレスにし、リボンを貼り付けてクルクル回る、いわば服飾アートごっこを楽しそうによくやっていると言います。

Aさんは、手芸クラフトが得意で、私たちにいつも作品を見せてくれます。お母さんいわく、手先が器用でいろいろなものをコツコツ作るのが好きなのだそうです。そしてAさんのつくった作品は売れました。「売れた」ということは、「価値が認められた」ということです。

Hさんは親しい友人が2人できました。3人でライブに行くのが楽しいといいます。3人のなかではHさんが路線と時刻表をアプリで調べて、待ち合わせを決めるといいます。友人と「つながり」、グループの中で役割が「認められている」のです。

AさんやIさんのお話は、内なる躍動を、ささやかな「参加」へと上手に育てた例ではないでしょうか。こうした話をしている時、お母さん、ご本人もリラックスして表情を崩されます、特にお子さんの目は輝き、やっと興味が出てきたという感じでした。私たちもお聞きしていて楽しいのです。

91歳の影絵作家、藤城清治さんが影絵を切る時の心境を次のように語っておられます。


木は生命の象徴といってもいいでしょう。・・・

その美しい木の葉を一枚一枚切り抜いていく。これが影絵制作の真骨頂です。・・・

文字通り一枚一枚の葉を根気よく、ごまかすことなく切り抜いていく。木の葉を一枚切るごとに喜びが増し、美しさが大きくなっていきます。切り始めたら、やめられなくなってしまう楽しさです。

よく人に「細かい木の葉をきるのは大変でしょう」といわれるけれど、僕は木の葉をきるのがうれしくてしょうがないのです。

  一見、同じように見える木の葉もみんな形がそれぞれ微妙に違っています。同じ種類の木の葉でも、一枚として同じ形はありません。自然のもつ奥深い、不思議な魅力を感じて驚いてしまいます。僕も一枚一枚、あっち向いてこっち向いて木の葉の形や波と葉の間の形を考えながら切って行くのがとても楽しい。それに、リズムにのって楽しく切らないと、木の葉も躍動

また、切っていく上で大切なのは自分の呼吸です。自分の息づかい、リズム、それがうまくからみ合って、大自然の神秘に挑戦していけるのです。切っていくうちに神経が集中し、研ぎ澄まされていきます。気がつくと、祈りのような思いがこめられています。

  特に木の葉をきるときは、片刃のカミソリの刃でないと葉っぱが生きてきません。カミソリの刃だと、人差し指の先が刃物になったように思えて、自由自在にひねったり、力の強弱をつけたりして、自分の息づかいを感じているような切り方ができるからです。カッターでは、なかなかそういう感じにはなりません。

  僕は木の葉を切るとき、いちばんの喜びと幸せを感じます。・・・

深夜や明け方まで夢中で切っていて、僕は自分で折ったカミソリの刃の屑の上に座って、傷つくのも知らずにのめり込んでいることもしばしばです。・・・

一本の木を見た僕たちが、そのいのちを表現するには、その木をじっと観察して、そこから様々なものを感じなければ描いたり切ったりできないと思うのです。

(『光は歌い影は踊る』藤城清治著)

藤城さんは、木の葉に生命の躍動を見て、その躍動に自分自身の内なる躍動を共振させているのだと思います。そして無心に影絵を切っているのでしょう。素晴らしい作品として世に認められたから意義があるという訳ではないでしょう。藤城さんに才能があったからできたのだという解釈も違うと思います。それは結果に過ぎません。大切なのは、その創作している過程で、生命の躍動を感じ、よろこびを感じて表現しているかどうかではないでしょうか。

そしてこれは、意識しさえすれば、余計な先入観を捨ててみれば、誰にでもあることではないでしょうか。はじめは微かかもしれないその喜びを、人と分かち合い、共有することができるなら、それは大きな生きがいへとつながっていきます。

それが人生レベルである「参加」のもつ大切な意義なのではないでしょうか。

生命(いのち)の躍動を参加へと育てる

ICFは、小児がん経験者の、生きがい感を高めるツールとして、活用できるのです。